Toshidama Gallery
yajifun:

Memorial Portrait of the Artist Utagawa Kunisada / Kunichika
歌川国貞(三代目豊国)の死絵 豊原国周 1864年12月
"元治元甲子年十二月十五日寂 豊國院貞匠画僊大居士 本所亀戸村 天台宗光明寺葬 二代目位置陽齋歌川豊國翁 行年七十九歳 門人 一鶯齋國周 謹筆 東都浮世繪師古今絶世の名工二世歌川豊国翁ハ前一陽齋豊國先生の門人にして初号一雄齋国貞とよび俗称角田庄藏と云本所五ッ目の産にして天明六丙午年の出生なり幼稚の頃より深く浮世繪を好ミ未だ師なくして俳優の似貌を画けり其父傍に是を閲して其器を悟り前豊國の門人とす豊國始て監本を与へし時浄書を一見して大に驚き此童の後年推量るとて称誉大抵ならざりしとぞ文化の初年山東京山初作の双紙妹背山の板下を画きしより出藍の誉世に高く是より年歳發市せる力士俳優の似顔傾城歌妓の姿繪及び團扇合巻の板下大に行れ画風をさ/\師に劣らず此頃ハ居所五ッ目なる渡船の株式其家に有をもて蜀山先生五渡亭の号を送らる後亀戸町に居を轉て香蝶樓北梅戸と号し且家の中より冨岳乃眺望佳景なりとて冨望山人と号し京山冨眺庵の号を送れり翁國貞たりし壮年より先師の骨法を学得て別に一家の筆意を究め傍に一蝶嵩谷が画風をしたひ懇望の餘天保四癸巳年嵩谷の画裔高嵩凌の門に入て英一螮と別号す此頃より雷名都鄙遠近に普く牧童馬夫に至るまで浮世繪としいへば國貞に限れりと思ひ斗升の画者を五指にかぞへず故に錦繪合巻の接客門下に伏從して筆跡を乞もの群をなせり中興喜多川歌麿が板下世におこなハれしも九牛が一毛にして比競するに足ざるべし近世錦繪合巻の表題製工備美をつくしに尽し東都名産の第一たるハ全く此人の大功にして前に古人なく後に來者なき實に浮世繪の巨挙といふべし于時弘化二乙巳年師名相續して二世豊國と更め薙髪して肖造と称す将嘉永五壬子年門人国政に一女を嫁して養子となし国貞の名及亀戸の居をゆづりて其身ハ翌年柳島へ隠居して細画の筆を採ずといへども筆勢艶容いよ/\備り老て倍益壮んなり殊更近來ハ役者似顔に専ら密なる僻を画分精神頗る画中にこもり其人をして目前に見るが如く清女が枕の草紙にいへりし徒に心をうごかすたぐひにや似たらまじ?そが中に當時發市の俳優似顔繪の半身大首の大錦繪今百五十余番に及び近きに満尾に至らんとすこハ翁が丹誠をこらし画れたりしものにして百年以來高名の大立者等を一列にあつめて見物する心地ぞせらる嗚呼翁の筆妙絶倫にして神に通ぜしゆゑ普く世人の渇望せるも宜なるかな可惜當月中旬常なき風に柳葉ちりて蝶の香りを世にとゞむたゞかりそめの病気とおもひしことも画餅となりし錦昇堂の悼に代りて知己のわかれをかこつものは遊行道人鈍阿弥なりけり"
"今年暮て今年の再來なく古人去て古人に再会なし歌川の水原涸て流行半月に變ずべし 水茎の後ハとめても年波の寄せて帰らぬ名残とそなる 應畧傳悼賛需 戯作者 假名垣魯文 誌 似顔画をかきたる人もにかほゑにかゝれて世にも残りをしさに 法斎悟一 倭絵に魂こめて豊なる神の皇國にのこすおもかけ 麟堂伴兄 豊なる稲の落穂や歳の市 大笑坊銀? さすかたを問ふすへもなし雪の道 一寿斎国貞 砕く程あつき氷や筆のうミ? 一雪斎国久 口真似の師のかけふます小節季候 一鶯斎国周 辞世 一向に弥陀へまかせし気の安さ只何事も南無阿弥陀佛 甲子晩冬中の五日 七十九翁 豊國老人"   
※参照:歌川国貞(豊国三代) - 浮世絵文献資料館

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Memorial Portrait of the Artist Utagawa Kunisada / Kunichika

歌川国貞(三代目豊国)の死絵 豊原国周 1864年12月

"元治元甲子年十二月十五日寂 豊國院貞匠画僊大居士 本所亀戸村 天台宗光明寺葬 二代目位置陽齋歌川豊國翁 行年七十九歳 門人 一鶯齋國周 謹筆 東都浮世繪師古今絶世の名工二世歌川豊国翁ハ前一陽齋豊國先生の門人にして初号一雄齋国貞とよび俗称角田庄藏と云本所五ッ目の産にして天明六丙午年の出生なり幼稚の頃より深く浮世繪を好ミ未だ師なくして俳優の似貌を画けり其父傍に是を閲して其器を悟り前豊國の門人とす豊國始て監本を与へし時浄書を一見して大に驚き此童の後年推量るとて称誉大抵ならざりしとぞ文化の初年山東京山初作の双紙妹背山の板下を画きしより出藍の誉世に高く是より年歳發市せる力士俳優の似顔傾城歌妓の姿繪及び團扇合巻の板下大に行れ画風をさ/\師に劣らず此頃ハ居所五ッ目なる渡船の株式其家に有をもて蜀山先生五渡亭の号を送らる後亀戸町に居を轉て香蝶樓北梅戸と号し且家の中より冨岳乃眺望佳景なりとて冨望山人と号し京山冨眺庵の号を送れり翁國貞たりし壮年より先師の骨法を学得て別に一家の筆意を究め傍に一蝶嵩谷が画風をしたひ懇望の餘天保四癸巳年嵩谷の画裔高嵩凌の門に入て英一螮と別号す此頃より雷名都鄙遠近に普く牧童馬夫に至るまで浮世繪としいへば國貞に限れりと思ひ斗升の画者を五指にかぞへず故に錦繪合巻の接客門下に伏從して筆跡を乞もの群をなせり中興喜多川歌麿が板下世におこなハれしも九牛が一毛にして比競するに足ざるべし近世錦繪合巻の表題製工備美をつくしに尽し東都名産の第一たるハ全く此人の大功にして前に古人なく後に來者なき實に浮世繪の巨挙といふべし于時弘化二乙巳年師名相續して二世豊國と更め薙髪して肖造と称す将嘉永五壬子年門人国政に一女を嫁して養子となし国貞の名及亀戸の居をゆづりて其身ハ翌年柳島へ隠居して細画の筆を採ずといへども筆勢艶容いよ/\備り老て倍益壮んなり殊更近來ハ役者似顔に専ら密なる僻を画分精神頗る画中にこもり其人をして目前に見るが如く清女が枕の草紙にいへりし徒に心をうごかすたぐひにや似たらまじ?そが中に當時發市の俳優似顔繪の半身大首の大錦繪今百五十余番に及び近きに満尾に至らんとすこハ翁が丹誠をこらし画れたりしものにして百年以來高名の大立者等を一列にあつめて見物する心地ぞせらる嗚呼翁の筆妙絶倫にして神に通ぜしゆゑ普く世人の渇望せるも宜なるかな可惜當月中旬常なき風に柳葉ちりて蝶の香りを世にとゞむたゞかりそめの病気とおもひしことも画餅となりし錦昇堂の悼に代りて知己のわかれをかこつものは遊行道人鈍阿弥なりけり"

"今年暮て今年の再來なく古人去て古人に再会なし歌川の水原涸て流行半月に變ずべし 水茎の後ハとめても年波の寄せて帰らぬ名残とそなる 應畧傳悼賛需 戯作者 假名垣魯文 誌 似顔画をかきたる人もにかほゑにかゝれて世にも残りをしさに 法斎悟一 倭絵に魂こめて豊なる神の皇國にのこすおもかけ 麟堂伴兄 豊なる稲の落穂や歳の市 大笑坊銀? さすかたを問ふすへもなし雪の道 一寿斎国貞 砕く程あつき氷や筆のうミ? 一雪斎国久 口真似の師のかけふます小節季候 一鶯斎国周 辞世 一向に弥陀へまかせし気の安さ只何事も南無阿弥陀佛 甲子晩冬中の五日 七十九翁 豊國老人"   

※参照:歌川国貞(豊国三代) - 浮世絵文献資料館

Taiso Yoshitoshi (1839 - 1892) Hakamadare Yasasuke and Kidomaru Fighting with Magic, 1887

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Kunisada, Stories of the Faithful Samurai - Okano Kinemon Kanehide (Syllable E)

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Toyohara Chikanobu (1838 - 1912)  Guard Ladies of the Chiyoda Palace, 1892
Utagawa Kuniyoshi (1797-1861) A Collection of Songs Set to Koto Music (Koto no kuniuta zukushi): Playing With Children, 1840